第五話『太田川亜希子Ⅲ』(脚本)
〇おしゃれなキッチン(物無し)
『がぼぼぼぼ、ぐぼぼぼぼぉっ!』
バタバタと暴れる手足、汚物と汚水で窒息して呻く声。それを見て、冴子の胸に湧き上がったのは紛れもない――喜悦だった。
奥田冴子「あははは、はははははははっ!」
あの女が!
奏音を見殺しにしたあの教師が、ウ●コまみれになって苦しんでいる!
なんて爽快なのだろう。これで少しは、奏音の苦しみを理解することができただろうか。
奏音がどのようないじめを受けていたのか、まだわからないことは多い。
でもあの子は、ちょっと傷つけたられたくらいで心折れるほど弱い人間ではなかったはずだ。
きっと、想像を絶するほどの地獄があったのである。そうでなければ、自殺なんてするはずがない。
奥田冴子(そうよ、奏音の地獄はこんなものじゃないんだから!)
笑いが止まらない。
あの女が汚物をトイレの中に飛び散らせ、バタバタと暴れていた手足が大人しくなり、びくびくと全身を痙攣させ始めてもなお。
冴子は、助けてやろうなんて気持ちにはまったくならなかった。
こいつは、結局自己保身にしか走らなかった。悪いのは全て生徒達だと責任転嫁した。奏音に謝罪もしなかった。
そんな奴にどうして、情けなどかけてやる必要があるだろうか?
鏡ごしでは、本当に教師が死んだかどうかはわからなかった。
だが、人を殺したかもしれないなんて罪悪感さえ既に冴子にはなかったのである。
ひょっとしたら。愛する息子を失うと同時に、自分もまた人間として大切なものを失っていたのかもしれない。
人はそれを慈悲だとか、倫理だとか、きっとそんな名前で呼ぶのだろう。
奥田冴子(どうでもいいわ)
罪の意識の代わりに沸き起こったのは、暗い愉悦。そして、本当に復讐が達成できたらしいという満足感だった。
無論、ニュースにでもなって、本当に太田川亜希子が死んだと確認するまでは――この鏡の力が本当だと確定することはできないが。
奥田冴子(でも、これが本物なら。・・・・・・私は本当に望みを叶えることができる)
奥田冴子(あの子を追い詰めた全てに復讐することができるはずだわ)
手鏡をぎゅっと握り締め、冴子は低い声で笑った。
さあ、次の標的は。
〇モヤモヤ
第五話
『太田川亜希子Ⅲ』
〇おしゃれなリビングダイニング
奥田冴子「ふぁぁ・・・・・・」
夫の颯斗は、一昨日から出張で家に帰ってきていない。一人きりの朝は、なんとも寂しいものだった。
休職中で、冴子の方は仕事に行く必要がないから尚更に。
奥田冴子(眠い。・・・・・・夜更かしなんてしてないのに、体が怠くてたまらないわ)
キッチンで簡単に目玉焼きを作ると、リビングで朝食を取った。朝の八時。早起きと言えるほどの時間ではない。
たっぷり寝たはずで、しかも昨日は特に運動したわけでもないのに随分と疲れた気がしている。
まるで、何かに生気を吸い取られでもしたかのように。
奥田冴子「あ」
箸を持ったまま、冴子は小さく声を上げた。テレビのニュースに、見覚えのある場所が映し出されたからである。
神妙な顔をした男性のアナウンサーが速報を伝えていた。
〇学校の校舎
アナウンサー「次のニュースです。昨日、●●県●●市の木槌丘小学校で、教員の太田川亜希子さんがトイレで亡くなっているのが発見されました」
アナウンサー「太田川さんは便座に顔を突っ込んだ状態で死亡しており、死因は溺死と見られています」
アナウンサー「トイレの鍵がかかっていたことなどから、警察は事故と病死の両方で捜査を進めており・・・・・・」
太田川亜希子。
写真も表示された。間違いない、あの女だ。
〇おしゃれなリビングダイニング
奥田冴子(トイレで、溺死・・・・・・!あの鏡の力は、本当だったんだわ!)
ぶるり、と全身が震えた。自分は、どうやらとんでもないものを手にしてしまったらしい。
この手鏡があれば、顔と名前を知っている相手なら誰でも遠隔で殺すことができる。
密室殺人も、アリバイ工作も思うがまま。証拠は一切残らない、まさに完全犯罪か可能なのだ。
少しだけ。ほんの少しだけ、昨夜は感じなかった恐怖を覚えた。
自分は本当に人殺しになったのだ。これでもう、後戻りすることはできない、と。
奥田冴子(いや。何を、迷うことがあるの)
だが。その迷いは、ほんの一瞬で消え去った。
奥田冴子(これで、忌々しい奴らを一人ずつ消していける。あの子の苦しみを思い知らせてやれるのよ)
奥田冴子(躊躇う必要なんてどこにもない。真実を確かめて、本当に悪い人間を暴き出しながら・・・全ての奴らに、天罰を下してやればいいわ)
本当に、生気を吸い取られてる、なんてこともあるのかもしれなかった。
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手鏡の能力の恐ろしさを確認した冴子さん、次はいじめの当事者へ矛先を向けてしまうのでしょうか。お家に訪れてくれた奏音くんの同級生たちとのやり取りを見ると、その同い年の子たちと対峙する姿は想像できないですよね