職場にて(脚本)
〇古いアパートの部屋
雨野陽介「バイトの方はどうなんスか」
からあげをつつきながら、俺は長谷川に聞いた。
長谷川がバイトを始めたのが月曜日。
月、火、水と働いていたようで、
俺は3日ぶりに一緒に昼飯を食べていた。
長谷川つばさ「毎日たくさんの人間さんとお会いできて 楽しいです!」
俺だったら毎日、不特定多数の人間と会うのはそれだけでキツい。
最初の時から思ってたけど、この人・・・
この天使?
社交的というか、ぐいぐい来るよな・・・
雨野陽介「・・・長谷川さんて、人間好きなんですか?」
長谷川つばさ「もちろん!」
長谷川つばさ「神様がお造りになって、 そこから独自に発展されて、 こんな文明を築いてらっしゃるんです」
長谷川つばさ「私だけじゃなくて、天使の多くは尊敬してますよ」
雨野陽介「へー・・・」
長谷川つばさ「だから人間界でのお仕事は、天使の憧れなんです」
・・・だいぶ慣れてきちまったけど
長谷川の話、だいぶファンタジーだよな。
たまに夢でも見てるような気分になる。
雨野陽介「じゃあ、まあ、弁当屋はつばささんに向いてるんスね お客さん、毎日来るだろうし」
雨野陽介「つばささん、愛想いいからすぐ気に入られそうだ」
長谷川つばさ「そ・・・そうですか? えへへ」
長谷川つばさ「でも、私なんてまだまだで」
長谷川つばさ「フクさんもゲンさんも、すごいんですよ 毎日勉強させてもらってます」
雨野陽介「へえ どんなことやってるんですか?」
長谷川つばさ「ええと、まず朝のお掃除ですね!」
雨野陽介「掃除」
いきなり地味なところから来たな。
まあでも、基本といえば基本か。
長谷川つばさ「フクさん、仰ってました 「おもてなしはお掃除から!」って」
長谷川つばさ「だから外の掃き掃除をして、看板を磨いて、店内のお花を替えたりしてます」
長谷川つばさ「それが終わったら、おにぎりを作ってます」
雨野陽介「おにぎり」
おにぎりも売ってるのか、万福亭。
長谷川つばさ「あ、手はもちろんしっかり洗って、おにぎりグローブをしています」
雨野陽介「お、おにぎりグローブ?」
なんだそれ。初めて聞いた。
長谷川つばさ「おにぎり用の手袋なんですって」
そんなのがあるのか・・・?
長谷川つばさ「・・・実は、私 包丁を使ったことがなくて」
長谷川つばさ「あれって、よく切れるんですねえ・・・」
よくよく見たら、長谷川の手のあちこちに絆創膏が貼ってある。
雨野陽介「ああ・・・」
俺は察した。
いくらなんでも、弁当屋のバイトの志願者が包丁を握ったことすらないとは思わなかったのだろう。
で、フクさんはきっと、簡単な調理を任せようとしたんだ。
その結果が・・・大量の絆創膏だ。
雨野陽介(フクさん、めちゃくちゃいい人だな・・・)
雨野陽介(・・・つばささんもがんばってるんだろな。何もわかんないなりに、多分)
フクさんは間違いなくいい人だろう。
人間界の常識が欠けた長谷川に仕事を教えるのは、
かなり労力がかかっているはずだ。
けど、フクさんがいい人であるだけで、それが続くとは思えない。
だからきっと、長谷川が一生懸命やってる証拠なんだろうう。
長谷川つばさ「聖天使さまの断罪の御剣くらい よく切れます」
雨野陽介「なんて言いました?」
長谷川つばさ「聖天使さまの断罪の御剣くらい・・・ いえ、もしかしたらそれ以上によく切れます、ゲンさんの研いだ包丁」
ゲームか、漫画でしか聞かない単語が出てきた。
やっぱり、ファンタジーだな・・・
長谷川つばさ「なので、しばらくはおにぎりと盛り付け係だそうです」
長谷川つばさ「でも、おにぎりも握り方でおいしさが全然変わるんですよ! あ、今度陽介さんも食べますか?」
雨野陽介「・・・まあ、貰うのも悪いんで 買いに行きますよ」
長谷川つばさ「ほんとですか?」
長谷川つばさ「私、接客もしてるので! ぜひ来てくださいね」
長谷川つばさ「あ、でも・・・ 人間さんも、いろんなお客さんがいらっしゃるんですねえ」
ふと、長谷川が声の調子を落とした。
雨野陽介「・・・何かありました?」
長谷川つばさ「うーん・・・ 昨日、男性のお客さんがいらっしゃって」
長谷川つばさ「ミックス弁当を頼まれたそうなんですけど・・・」
長谷川つばさ「コロッケが入ってない!」
長谷川つばさ「って、怒っておられたんです」
雨野陽介「入れ忘れですか・・・?」
長谷川つばさ「いえ、ミックス弁当はからあげとエビフライなので、そもそもコロッケが入ってないんです」
長谷川つばさ「お客さんにも同じことを話したら、 もっと怒っちゃって・・・」
雨野陽介「・・・そりゃ大変でしたね・・・」
悪質なクレーマーだ。
買う前に内容を確認すべきだろう。
長谷川つばさ「そのあと、フクさんが対応してくださって、どうにかなったんですけど・・・」
長谷川つばさ「私がもっと上手にお話しできたらお客さんも怒らなくて、フクさんにもお手間をおかけしなかったのかなあ、なんて」
雨野陽介「いや、それは客が悪いですよ・・・ フクさんは何か言ってました?」
長谷川つばさ「たまにああいうお客さんもいるけど、気にすることないよ、って励ましてもらいました」
雨野陽介「じゃ、そういうことですよ フクさんが言うなら間違いない」
長谷川つばさ「・・・ありがとうございます」
長谷川つばさ「陽介さん、やっぱり当てませんか? 宝くじ」
雨野陽介「え? なんでまた急に」
長谷川つばさ「私、働いて3日ですけど ちょっとだけ人間さんの仕事の大変さがわかった気がするんです」
長谷川つばさ「陽介さん、死にたくなっちゃうほどお仕事に疲れてるのに、また働かなきゃいけないなんて・・・って、思って」
長谷川つばさ「お金があれば働かなくてもいいんですよね?」
雨野陽介「・・・うーん・・・?」
金があれば働かなくていい。
・・・のか?
金がないから働く。
金があれば働かなくていい。
一理ある。
けど、そうなんだろうか。
・・・俺はなぜだかすっきりしなかった。
雨野陽介「まあ・・・ 何ヶ月かはゆっくりする予定なんで」
雨野陽介「今すぐどうこうってわけじゃないですし・・・」
失業保険の待機期間と給付期間はそれなりにある。
仕事は探すつもりだが、今すぐ働く気にはなれていない。
ぼちぼち探しながら、ぼちぼち休む・・・
そうしようと思っていたところだ。
長谷川つばさ「じゃあ、その間、 一緒にいっぱい楽しいことしましょう!」
雨野陽介「・・・恥ずかしながら そこまで使える程の金が・・・」
貯金? 俺にあるわけないだろ。
長谷川つばさ「陽介さんを死なせないためなら、経費で落ちますよ!」
雨野陽介「・・・つばささんも、金がないって言ってませんでしたっけ?」
長谷川つばさ「私にはありませんけど、神様の口座があるので!」
雨野陽介「・・・神様も持つんですね、口座」
長谷川つばさ「天使はそこから人間界のお金を引き出してるんですよ」
喫茶店での会計とか、持ってくる弁当代とか、そこから捻出されてたのか。
なるほど。
しかし、前々から思ってたが・・・
俺なんかにえらく待遇がいいもんだ。
ズレてるけど、こんなに献身的に接してくれる誰かがいるんなら、
自殺者なんてもっと減ってる気もするが・・・
雨野陽介「一個質問いいですか?」
長谷川つばさ「どうぞ! あ、もしかして断罪の剣に興味が」
雨野陽介「いや、違います」
雨野陽介「ええと・・・天使ってのは、人間一人一人についてるもんなんで?」
長谷川つばさ「あ、いえ 神様の描く人類史の中で、特別重要な方だけです」
雨野陽介「・・・つまり、俺は重要と」
長谷川つばさ「そうです! 詳しくは私も存じ上げないんですけど 陽介さんは特別な方なんですよ」
長谷川つばさ「・・・よ、陽介さん? お顔が・・・」
・・・俺は今、すごく変な顔をしているらしい。
そりゃそうだ。
あなたは特別な人ですよ、なんて神様から言われてるらしいんだ。
この俺が。
信じられない、というか。
じゃあ、なんで・・・
俺はこんな人生を送ってるんだ?
なんて、思ってしまう。
神様、何か間違えてるんじゃないか?
雨野陽介「・・・いや、わかりました ありがとうございます」
長谷川つばさ「いえ・・・ だ、大丈夫ですか?」
雨野陽介「大丈夫スよ」
長谷川つばさ「・・・」
雨野陽介「・・・あー、そうだ、弁当屋の話 もう少し聞かせてくださいよ」
長谷川つばさ「えっ、あ、はい! ええと・・・ええとですね・・・」
長谷川つばさ「あ! そうだ!」
雨野陽介「な、なんスか」
長谷川つばさ「一個、すっごく驚いたことがあって」
いつにも増して真剣な長谷川に、俺はつい息を呑んだ。
長谷川つばさ「からあげって・・・」
長谷川つばさ「あんなにおいしいのに、 あんなに危険な料理なんですね・・・」
雨野陽介「・・・跳ねますからね、油」
長谷川つばさ「そうなんです! それに熱くて! もう私、びっくりしちゃいました・・・」
それからはいつも通り、他愛のない会話が続いた。
働くこととか、生きる意味とか。
そういうことを考えるのは、後回しにした。