読切(脚本)
〇黒
「・・・困りますよ。ああいう荒い運転はさ」
「とにかく!帰りの送迎は他の人にお願いしますね!」
「新婚なんだから気をつかってくださいよ、まったく」
〇新幹線の座席
・・・。
俺は友人の結婚式が終わり帰路についていた。
関西での挙式ということもあって、新幹線で移動することに。
俺が住んでる場所は東京だ。
当日駆けつけるのでは間に合わないので前泊を余儀なくされる。
式が終わったら速攻で新幹線で帰る。
なにせ結婚式が日曜で、明日は平日の月曜と来たもんだ。
できることなら1日ぐらい有給を取って関西観光にでも行きたかったが、無理な話だ。
ちなみに一緒に来てた友人たちは有給を取れたらしい。ちくしょうめ。
お陰で俺はひとりで帰ることに。
まあガキじゃあるまいし、新幹線の中で寝るだけなんだから別にいいんだけど。
連休でもない日曜の午後の新幹線は空いている。
適当な席にどっかりと座る。もちろん窓側だ。
空き具合としては自由席でも楽々座れるぐらいだ。リクライニングも最大まで倒せる。
知らない人たちと挨拶を交わすのもなかなかにハードだったからな。
疲れを癒すためにもゆっくり寝させてもらおう。
・・・。
それにしても結婚式か。羨ましいぜ。
式を挙げたがるのは女性と言うが、あんな風にみんなから祝福されるのなら男でも憧れてしまう。
唯一残念だったのは会場のスタッフがやや鈍臭かったこと。
でもまあ大きなトラブルはなかったし、良かった良かった。
俺もああいう結婚式を開きたいな・・・。
・・・。
って、いかんいかん。空想に思いを馳せるのは良くない。
帰れば現実が待ってる。
今のうちに帰宅後にやることを再確認せねば。
まず、持ってきた荷物を解体して──。
「──東京行き、発車します」
ぼんやりとアレやコレやを考えていると発車のアナウンスが流れる。
これで本当にあとは帰るだけ。座っていれば自動的に新幹線が運んでくれる。
そうして気が緩み、まぶたを閉じようとしていた時だった。
「・・・」
ひとりの中年の男が俺の隣の席に座ってきた──。
〇新幹線の座席
・・・。
いや、いったいなんなのだ。
薄毛になりつつなる頭、ちょっとしたシワやシミが見える顔、少し出っぱったお腹。
どこにでもいるオッサンだ。だけどそれだけになんでだ。
さっきも確認したが、席はまだまだ空いている。
通路を挟んだ反対側の席だって誰も座っていない。俺の前後だっていやしない。
それなのにどうして俺の隣に。
もしや知り合いかと思い、顔をチラリと見てみる。
窓を見るわけでもなく、スマホをイジるわけでもなく、オッサンの目線は前の席の背もたれに固定されていた。
俺を見ているわけではなかったのが救いだが、やっぱりコイツは知り合いじゃない。
結婚式で挨拶した誰かかとも思ったが、そもそも知り合いなら向こうから挨拶してくるだろう。
・・・つまり知り合いでもないのに、わざわざ俺の隣に座ってきたということになる。
東京までは3時間弱。
それまで知らないオッサンが隣に座っているのはご勘弁願いたい。
そもそもこのオッサンが俺の隣に座ってきた理由を考えてみよう。
まず考えられるのがオッサンか俺の勘違いだ。
スカスカだから気づかなかったが、もしかしたらこの車両は指定席なのかもしれない。
それならオッサンはただ自分の席に座っただけだ。罪はない。
もしくはオッサンが自由席の車両なのに指定席の車両と勘違いしてるケース。
ピンポイントで俺の隣に勘違いしてるのは困るが、まあそういうこともあるだろう。
・・・最悪なのが泥棒の可能性だ。
オッサンが座る直前、俺はまぶたを閉じて寝ようとしていた。
寝ている俺から財布やスマホを盗む為に近づいてきたのかもしれない。
オッサンにとっては運が悪いことに、俺はまだ寝てなかったわけだが。
不幸中の幸いか、オッサンが泥棒だとしても犯行に及ぶ前に俺が起きていることに気づいたはずだ。
犯行の最中に俺が起きたら、余計な揉め事が始まってただろう。
それこそ逆上したオッサンに刺されかねない。
他の犯罪の可能性として痴漢も考えたが、俺はバリバリの男だ。ありえない。
・・・。
考えはまとまった。席を移動しよう。
俺やオッサンの勘違いなら、移動すれば問題解決だ。
泥棒だった場合も、俺が席を移動すれば警戒されたと思ってついてはこないだろう。
まだ何もしてない状態で俺が通報するとも思わないだろうしな。
移動しても逆上されることはあるまい。
幸いにも荷物は1泊分で少なめ。簡単に移動できる。
「すみません。前、通りますね・・・」
窓側の席から通路に出るには、オッサンの前を通らねばならない。
沈黙するオッサンの前を、慎重に迅速に、爆弾を解除する刑事のように、移動していく。
「・・・」
・・・ふう。移動完了。
通路に立った俺はオッサンの様子を確認する。
・・・うん、特に気を悪くしてる感じはないな。
オッサンの目線は相変わらず目の前の席の背もたれに固定されている。
目線ひとつ動かさないのは不気味ではあるが、もう俺には関係ない。
さて、移動するか。どこの車両に向かうべきか・・・。
〇新幹線の座席
・・・。
なんだか怖くなった来た俺は隣の車両ではなく、だいぶ離れたところまで来た。
最初に乗ってた車両は後方にあり、今いる車両は最前方だ。
通常、新幹線は指定席の車両が駅の階段に近い真ん中であり、自由席があるところは前と後ろになる。
指定席のある車両を通り抜けて、この最前方のとこまで来たわけだ。
・・・ちなみにやはり俺が乗っていた車両は指定席ではなく自由席だった。
勘違いしてたのは俺ではなくオッサンの方だったのか。
それとも別の理由でもあったのか・・・。
いや、もはやどうでもいいことだ。
例えあの席にこだわる理由がオッサンにあったとしても、離れてしまった俺には関係ない。
思考を切り替えて自分のスマホに目を移す。
「・・・ふふっ」
結婚式で馬鹿騒ぎをする新郎と友人たちの写真を見て、思わず笑いがこぼれる。
変な体験をした後には、こうやって楽しい思い出を振り返るのが良い。
記憶を上書きしてしまえば、東京に着く頃には忘れてるだろう。
そうしてスマホと窓の外の景色を交互に見て、気分を紛らわす。
なんとなく眠る気分にはなれなかった。
長距離移動で疲れてるはずなのだが、どうしてもオッサンの顔が頭から離れない。
眠ってしまうと、またオッサンが隣に来てしまう、そんな予感がしていたのだ。
「イカンイカン。こんなことで楽しい1日を台無しにするべきじゃないな」
半ば自分に言い聞かせるように、オッサンのことを忘れようとする。
しかし次第にオッサンの顔が脳裏をチラつくようになっていく。
理由が分からない不可思議なことほど、忘れがたくなるのだ。
頭の中が先ほどの出来事で支配されていくと、スマホを動かす手も鈍くなる。
これではダメだと、無理やりにでも寝てしまおうと思った時だった。
「・・・」
ボフという音と共に、席に伝わる振動。
人肌から発せられる熱。
普段ならなんとも思わないことが、今は突き刺すような刺激となって襲いかかってきた。
──オッサンだ。
遠く離れた車両に来たはずなのに、オッサンがまた俺の隣に座ってきたのだ。
オッサンがあの席にこだわってたわけじゃないのは明らかだった。
どう考えても狙いは『俺』だ。
ただ隣に座られただけなのに、金縛りにあったように身体が硬直する。
なんとかして視線だけは隣に移して確認する。
・・・何度確認しても、知らないオッサンだ。
だが、もはや普通のオッサンではないことは分かっている。
最初に会った時と変わらず無表情で、前の席の背もたれを見つめてるのが、より恐怖に拍車をかけていた。
いったいなんなんだ、コイツは。
もしかして俺に恨みでもあるのか。
いや、そんなわけがない。
自分で言うのもなんだが、恨まれるような人生を送ってきてはいない。
学生時代だってイジメに積極的に加担した覚えはないし、社会人になってからも犯罪に手を染めたことはない。
なにも・・・なにも悪いことをしてこなかったはずだ。
「次は新横浜──」
背筋が凍るような数分間を過ごしていると、唐突にアナウンスが流れる。
普通の人にとっては普通のアナウンスなのだろうが、俺には天使の声にも聞こえた。
もう降りてしまえばいい。
まだ目的地の東京ではないが、降りてしまえばいいのだ。
少なくともこのオッサンと同じ空間にいるのはもう嫌だ。
多少帰りが遅くなるぐらいがなんだ。今の状況に比べればずっとマシだ。
新幹線が停車すると、俺は飛び出すように席を立つ。
気を遣ってやる必要はもうない。逃げる方が先決だ。
席を立ち、オッサンの様子を確認する為にチラリと振り返る。
・・・。
いつ見ても前しか見てなかったオッサンが
俺の方を凝視していた──。
〇駅のホーム
「そう言われましてもねえ・・・」
「隣に座られただけなんでしょ」
「一応は警戒しておきますけど、少し大袈裟すぎやしませんか」
駅に着いてすぐに俺は駅員に相談した。
だけど駅員は見下すように苦笑いするばかり。
確かに実害はない。だけど、新幹線という出口のない場所で付け狙われる恐怖が分からないのか。
今度、絶対にクレームを出してやる・・・。
「はあ・・・」
でも、外の空気を吸えたことで落ち着きを取り戻した。
ホームを見渡してもオッサンはいない。
オッサンはそのまま新幹線に乗って東京まで行ったのだろうか。
でも、今度こそ大丈夫だ。
今いる新横浜から東京まではすぐ。
なんなら今からでも新幹線ではなく、普通の電車に乗り換えても良い。
だけど安心したことによって余計な守銭奴の心が頭を出してきた。
せっかく新幹線の切符を買ったのだから、このまま新幹線で東京へ行ってしまおう。
俺は次に来た新幹線に乗り込み、東京を目指した──。
〇新幹線の座席
・・・。
俺の判断は間違いだった。
新幹線が出発し、席に座ろうとした瞬間。
俺が来た方向からオッサンがやってきたのだ。
アイツ、駅のどこかに隠れていやがった!
隠れて俺を見張っていたんだ!
「う、うわあああああああ!!」
俺は周りからの視線も無視して叫び声をあげる。
席に座ることはもちろん拒否した。
急いで席に載せた荷物を回収し、オッサンとは逆方向に向かう。
オッサンは──
もはや、俺を狙ってることを隠そうともしてなかった。
俺を睨みつけ、これ以上ない怒りの表情で、
歩くスピードをあげ、俺のことを詰めてくる。
追いつかれたら、なにをされるか。
あの表情から察するに、俺の命はないだろう。
それ以上の想像をする余裕はなかった。
「でさ、私の会社の上司が不倫しててさ」
「職場に奥さんまで現れて大変だったんだから」
乗客たちは俺のことなど気にも留めず、自分たちの時間を過ごしている。
大の大人があんな情けない声をあげたというのに、助ける素振りをする人間はゼロだ。
ほとんどが無視をするか、もしくは奇異の目で見てくるだけ。
「今度の旅行、どうするよ」
「大阪も良かったけど、今度は北の方に行こうぜ」
客の声が走馬灯のように俺の耳をすり抜けていく。
俺はただ逃げるしかない。
だけど、逃げてどうなる。
ここは密室空間。最前方である先頭車両まであと少し。
そこまで行ったら──
俺は、終わりだ。
オッサンに追いつかれてしまう。
さっき出発したばかりで、追いつかれる前に次の駅に到着するのは無理だ。
どう考えても──俺は終わった。
「だから俺は言ってやったんだよ」
「さっさと運転手をクビにしろってな!」
通路を通り抜けて、とうとう先頭車両。
目の前にある壁にすがるように俺は全身を貼り付ける。
もう無理だ。
俺は訳の分からないまま、訳の分からないオッサンに殺されるんだ。
覚悟も決めきらないまま、俺は後ろを振り返る。
せめて・・・せめて殺される理由だけは教えてくれ。
そう思い、必死に唇を動かそうと努力をする。
しかしその努力は無駄だった。
振り返ったそこに──
あのオッサンは、いなかった。
〇渋谷のスクランブル交差点
・・・。
結果だけ言うと、俺は無事だった。
結局俺は知らないオッサンに隣に座られて、最後は追いかけられただけ。
これだけで警察に行くのもはばかられて、俺はなにもせず東京で降りた。
ちょっと変なことはあったけど、楽しい1日だったな。
「速報です」
街の大型液晶モニターでニュースが流れ始めた。
「東京駅で通り魔事件が発生しました」
「この事件で一人の男性が死亡。その他、多くの人が重軽傷とのことです」
「逮捕された容疑者は、」
「客からのクレームで仕事を失ったことから自暴自棄になったと話しているそうです」
ふーん、おかしな奴もいたもんだ。
クビになったことが、そんなにムカついたのなら・・・
そのクレームをつけた本人を殺せばいいのにな──。
人物画が全くないのに、文章だけで状況が手にとるように分かるリーダビリティがすごい。隣のおじさんからの直接的な恐怖のみならず、駅員や乗客の助けや理解が得られないという間接的な恐怖が加わり、主人公の感情のコップから水が溢れ出すようなクライマックスがすごかった。終盤で安心した読者に冷や水を浴びせるラストのニュース。挿入された会話の伏線とつながってゾッとしました。作者さんは作風のジャンルの幅が広いですね。
容易に想像できるシチュエーションだからこその伝わる恐怖感。理由もわからずにされる行為に恐ろしさを感じ、さらにラストの情報でその理由を匂わされて一層恐ろしくなりました。
何なんだこのオッサンは?頭にくるな。空席が沢山あるのにわざわざ隣に座るかね。これは何かあるのかもしれない。主人公の判断は正解でした。