ねこ。(脚本)
〇田舎の一人部屋
――一日目。
猫好きあるある。
朝目覚めた時、すぐ傍で愛猫が待っていてくれるとめっちゃ可愛くて悶える、という。
みーちゃん「みー」
咲江「・・・・・・あー、おはよ」
朝目覚めた瞬間、視界に入ったのは真っ黒な顔、そして金色の瞳だ。
布団の外に投げ出していた私の掌の上に、真っ黒な子猫はちょこんと乗ってこちらを見つめている。
私が起きたことに気づいてか、ちろり、と私の手首を舐めてくれた。ざらざらした舌の感触がたまらない。かわいい。
咲江「おはよお、みーちゃん」
みーちゃん「みー・・・・・・」
咲江「あー、ごめんごめん。ご飯の時間だったね」
みーちゃん「みー!みー!」
分かってるならはよしろ、と子猫は鳴き続ける。よっぽどおなかが空いているらしい、と私は時計を見てぎょっとした。
既に午前十一時を過ぎている。そりゃ、みーちゃんもお腹がすいて当たり前というものだ。抗議の一つもしたくなるだろう。
咲江「ご、ごめんみーちゃん!すぐ用意するから!」
確かに昨日は、遅くまで会社で残業していたし、帰ってからもヤケになってお酒を飲みまくり、
夜更かしをして寝てしまったのは確かだが。
いくらなんでも、この時間はないだろう。猫を飼う身としては、ある程度規則正しい生活をしなければ申し訳ないではないか。
それがまだ小さな子猫なら尚更だ。とりあえず水だけでもと適当なお皿に水を入れてみーちゃんの前に出す。
猫用ミルクとペットフードは、と思って棚をがさごそやって、すぐにがっくりと力が抜けてしまった。
どこを探してもない。切らしている。まさかからっぽになるまで気づかないなんて、どんだけ抜けているのだろう。
いくら仕事が繁忙期でバタバタしていたからって、そんなことみーちゃんには関係ない。
大体、まだ三十路手前だ、ボケるには早すぎるではないか。
みーちゃん「みー?」
わたしのごはんは?と言うようにこちらを見上げてくるみーちゃん。可愛い。
可愛いが申し訳ない。私は彼女に両手を合わせて、ごっめん!と頭を下げた。
咲江「今、急いでそこのホームセンターまで行って買ってくるから、待ってて!」
ホームセンター“こんぽーる”には、ペットショップも入っている。ペットフードも豊富に揃っているはずだ。
忘れていたが、彼女専用のお皿も買っておかねばなるまい。
〇古いアパートの廊下
忘れていたが、彼女専用のお皿も買っておかねばなるまい。
私は着替えもそこそこにバックを引っ掴むと、化粧も忘れて家を飛び出したのだった。
とにかく、お腹がすいているみーちゃんが最優先。少しでも美味しいものを買って、お詫びをせねばなるまい。
〇田舎の一人部屋
――二日目。
猫好きあるある。
朝目覚めた時、腕の上がぬくぬくしてると萌え転がりそうになる。
重くて腕が痺れそうになるが、それもまた一興。私の目覚めを待っているみーちゃんは今日も可愛い。
本日は、私の腕の上で香箱座りという器用なことをしてくれている。
みーちゃん「なーう」
咲江「おはよう、みーちゃん、重いよー。でも今日も可愛いねー」
私が可愛い、と言うとそれがわかっているのか、三角形の耳をぴこぴこと動かして反応してくれる。
今日も黒い毛がツヤツヤで美しい。私は首だけ動かして、時計を見た。
昨日よりも少しマシだが、それでも既に午前十時。昨日はそんなに夜更かしした覚えもないのに、と自分の寝汚さに呆れてしまう。
咲江「みーちゃーん、動けないよー。ごはん食べたくないの?昨日、ちょっと奮発していいフード買ったでしょ」
咲江「にゃおちゅーるもあるよ。そこにいられると動けないよー」
みーちゃん「なーうなう?」
咲江「そ、ちゅーる」
みーちゃん「なう!」
通じたのか、もそもそと黒い毛玉が蠢き、ようやく私の腕の上からどいてくれた。腕が黒い毛まみれになっているのも愛おしい。
愛猫に邪魔されて仕事に行けなくなる、あるいはテレワークが全く進まなくなるエピソードはよく耳にするが、
今の私には非常にわかるというものである。
気付けば、生活すべてが猫優先になっているなんて珍しくもなんともない。
というか、命を預かるならばそれくらいの覚悟はあって然るべきだろう。
〇安アパートの台所
キッチンへ行き、昨日買ってきたフードの袋を取り出す。
茶色くてカリカリした、一見するとクッキーのようなフードだが価格はかなりのもの。
にゃおちゅーるがいくつ買えるか、といったレベルの代物だ。
実際高いだけあって美味しいのか、昨日のみーちゃんはかなり食いつきが良かった。
それよりもうまいうまいと言いながら食べていたのがにゃおちゅーるの方だったのは、なんとも複雑な気持ちになったのだけど。
ちゅーる恐るべし。
猫用ミルクと一緒に彼女に出してやりながら、私は自分の着替えを始める。
外に出かけるかどうかはわからないにしても、さすがにパジャマのまま一日過ごすわけにはいかない。
なんだか酷く眠いし仕事の疲れも抜けてはいないが、せめてジャージくらいにならなければ宅急便の応対もできないだろう。
咲江「あー・・・・・・」
さあ自分の朝ごはんをと思ったところで、私はため息をついた。
どうやら私はみーちゃんのご飯のみならず、自分のご飯に関してもいろいろと忘れていたらしい。
冷蔵庫には、最低限の牛乳やお茶、調味料くらいしか入っていない。
辛うじてパンとご飯はあるので朝ごはんは食べられるが、
お昼以降をなんとかするためには食材の買い出しに行かなければならないだろう。
昨日はみーちゃんのためだと思って出かけられたが、自分のためなら話は別だ。少し熱っぽい気もするし、何より億劫で仕方ない。
咲江「めんどくさいー」
みーちゃん「なー?」
咲江「あー、ごめんみーちゃん。みーちゃんのことはなんも面倒くさくないよ。自分のことがめんどいだけだからねー」
どうしたの?というようにキッチンを覗き込んできたみーちゃんが可愛くて仕方ない。
私は彼女に微笑みかけると、欠伸をしながらパンとマーガリンを取り出したのだった。
〇田舎の一人部屋
――三日目。
猫好きあるある。
朝目覚めた時、腕に抱きついてきているもふもふがいると動けないのに愛おしい。
今日も今日とて、みーちゃんのアピールは激しいようだ。私の指から肩まで、すっかり黒い塊で覆われてしまっている。
必殺、腕に抱きついて離しませんモード。上に香箱座りされるよりロック度が高い。
咲江「おはよう、みーちゃん」
みーちゃん「にー!」
咲江「今日も愛が激しいよみーちゃん、うごけなーい」
みーちゃん「にー、にー、にー!」
髭をすりすり、頭をすりすり。可愛い、めっちゃ可愛い。眠気もやばいし体もだるいし身動き取れない、でもとっても幸せな気分だ。
時計を見ると、時刻は既に正午になってしまっている。みーちゃんもお腹がすいているだろうに、愛情ロックを優先してこようとは。
そんなに私のことが好きなのか、と思うと嬉しくなってしまう。
〇安アパートの台所
しばらくまったりと彼女をもふもふさせてもらった後、どうにか腕を剥させてもらってキッチンへ。
そういえば、昨日は結局朝パンとヨーグルトを食べただけで、何も食べていない気がする。
買い物に行くのが面倒になって、結局そのまま食べることを放棄してしまったのだ。
自分もズボラになったものだ、と思いつつひとまずみーちゃんのお皿を出すことにする。
猫用ミルクとペットフード、それからにゃおちゅーる。
彼女も成長するにつれて食べる量がどんどん増えているので、また新しく買い足してやらねばなるまい。
咲江(でも、外に出るのも億劫だし、というかこのペースだとさらに食事量増えそうだし)
咲江(こうなったら、宅配か何かで買おうかな。ちょっとお金かかるけどいいや、今はそういうサービス利用するのもありでしょ)
みーちゃん「にーう?」
咲江「はいはい、今行くからねー」
キッチンの前で、まるで巨石のごとく待ち伏せするみーちゃん。まったく、ついこの間まで子猫だったのに大きくなったものだ。
私の腰あたりにある彼女の頭を撫でて、私は皿を部屋に持っていく。
〇田舎の一人部屋
みーちゃんがガツガツとフードを食べ始めた時、スマホが震え始めた。
枕元で充電しっぱなしのスマホを手に取って眉を顰める。電話してきたのは、会社の同僚の聡美である。
咲江「あー、もしもし聡美?どうしたの」
緩慢な動作で着信ボタンを押して言えば、向こうからは“どうしたの、じゃないよ!”と甲高い声が響いてきた。
聡美「やっと繋がったよ電話!どうしたの咲江、何かあったの!?」
咲江「へ?何かあったって?」
聡美「いやだから、今日月曜日だってば。いつも真面目な咲江が無断欠勤したって、みんな凄く心配してたんだからね!?」
聡美「家で倒れてるかもしれないって本気で思ったよ、何回電話かけても出ないんだもん!!」
咲江「あー・・・・・・」
そういえば、と私はカレンダーを見て思い出した。今日は月曜日、普通に出勤日だ。ついつい忘れて、昼まで眠ってしまっていた。
咲江「ごめん、寝ちゃってた・・・・・・」
自分で言ってから、あれ、と思う。
どうして、月曜日であることを自分は忘れていたのだろう。電話があるまで、曜日を確認しようともしなかったのだろう。
寝坊した挙句無断欠勤なんて、務めてから五年一度もやらかしたことはなかったのに。
聡美「寝ちゃってた、って。体調悪いの?」
聡美の声に、不安そうな色が混じる。
聡美「あんたが無断欠勤なんて、よっぽどじゃない。具合悪いなら、ちゃんと病院行きなさいよ」
咲江「んー・・・・・・ごめん、面倒くさいや。でも、チーフにはごめんなさいって伝えてくれる?」
咲江「ちょっと今、電話するのもしんどくて・・・・・・」
聡美「それはわかったけど・・・・・・」
あのさ、と彼女がやや声を潜めて続ける。
聡美「咲江あんた、猫でも飼い始めた?凄い猫っぽい鳴き声がするんだけど」
聡美「・・・・・・でもそのマンション、ペット禁止じゃなかったっけ」
聡美「ていうか、あんた猫アレルギーが酷くて猫大好きなのに飼えないとか愚痴ってなかったっけ?」
その台詞を聴いた途端。私の頭の芯が、急にすーと冷えていくような感覚を覚えた。
みーちゃんは今鳴いていない。それなのに、“凄い猫の鳴き声がする”のはどうしてなのだろう。
そもそも、彼女の言う通りこのマンションはペット禁止だ。
少し前に下の階の住人がこっそり猫を飼っていて、大家にえらく叱られていたのを覚えているから間違いはない。
そして私は、猫アレルギー。猫に触ると、くしゃみと鼻水が止まらなくなる体質。
子どもの頃からそうなのでこれもまず間違ってはいない。それなのに何故、私はみーちゃんといても平気なのだろうか。
〇黒背景
というか。
私は一体、どうやってみーちゃんと出逢って、どういう経緯で彼女を飼うことを決めたのだったか。
〇田舎の一人部屋
咲江(あ、あれ?あ、れ?)
何かが、おかしい。肝心なところの記憶が、綺麗に抜け落ちている気がする。
というか、そもそも一昨日には、みーちゃんは私の掌に乗るくらいのサイズの子猫であったはずだ。
それが、今では猫どころか犬のゴールデンレトリーバーを超える大きさになっている。
そんな短期間に成長することなどあるのだろうか。というか、猫がそんなに大きくなるものなのだろうか。
咲江(そ、うだ。私、猫を飼っちゃいけない体質で、飼っていい場所でもなくて。それなのになんで、私みーちゃんを飼って?)
そもそも、家にペットフードがなかったのは。
切らしていたからではなくて、そもそもペットを飼っていなかったから、なのでは。
咲江(待って。ねえ、待って?私・・・・・・私一体、“ナニ”を飼って・・・・・・?)
〇黒背景
低く、地鳴りにも似た鳴き声。
私の頭上に、大きく被る影。
咲江「あ・・・・・・」
私は恐る恐る後ろを振り返った。そこで私を待っていたみーちゃんは、部屋の天井に頭をくっつけて笑っている。
鋭い牙がずらずらと並んだ口を、三日月型に大きく開けて。
次の瞬間、絶叫は。彼女の巨大な口の中に、飲み込まれていったのだった。
ほのぼの系のBGMが途中からパタっと途切れて…。みーちゃんが一見戯れている風でありながら咲江の腕をロックするあたりからじわじわと何かを感じさせる展開、さすがです。ラストの後でみーちゃんが出社してたら別の意味でホラーですね。
可愛いみーちゃんとの暮らしに癒されてました。飼い猫あるあるを並べられて、ただ笑顔で頷くだけでした。ちゅーる最強とか。そこからの、その幸せな世界の徹底的な破壊・否定で、エゲツナさと恐怖を深く感じました
すみません、猫飼いなもので「にゃんこの成長は早いな!うんうん可愛いな!!」と思いながら読んでいました。あまりにも盲目!
どんでん返し素晴らしかったです。