読切(脚本)
〇標本室
水沢 澄「これがウマノオバチ。産卵管が馬の尾みたいだからウマノオ・・・・・・と」
静かな倉庫に自分の独り言だけが響く。
水沢 澄「こんな時でもないとゆっくり資料をみられないし」
業務時間中は勉強できないので、昼休みの今がチャンスと昆虫の標本をじっくりと観察する。
昆虫が苦手な人は多いが、私は動かずじっとしている昆虫の標本を見る分には抵抗はなかった。むしろ好きななほうかもしれない。
水沢 澄「少しここ(博物館)に染まってきた証拠な気はするけれど・・・・・・」
その証拠に、昔は蛾を見るのが苦手だったのに、とある昆虫屋の影響で最近は可愛いかも? なんて感覚を持つようになった。
〇標本室
「このふっくらとしたお腹やふわふわなところがいいんだよ」
〇標本室
楽しそうに蛾の魅力を語っている彼の言葉が脳裏をよぎった。
水沢 澄「・・・・・・恐ろしいのは先生の専門は蛾じゃないのに、あの熱量ってことだよね」
私は先生のことを思い浮かべながら、今まで見ていた蜂から視線をずらす。
水沢 澄「藤先生の本命はこっちだもんな」
その視線の先には──────
藤 道人「そ、僕の大本命はこっち」
唐突に後ろから聞こえた声に驚き振り向くと、少し身を屈めて大本命の標本を愛しそうに見つめる例の昆虫屋の先生がいた。
藤 道人「いいよねえ・・・・・・トンボ」
私の肩越しにトンボを見つめる顔はまさに「悦に浸っている」といったところだろう。
水沢 澄「藤先生・・・・・・いつもいきなり現れるのやめてください」
藤 道人「びっくりした?」
水沢 澄「するに決まってます。妖怪が出たのかと思いましたよ」
藤 道人「僕、妖怪になるならトンボ妖怪になりたいなあ」
水沢 澄「日本にトンボの妖怪なんているんですか?」
藤 道人「さあ? 僕、民俗学は専門外だからねえ。今度民俗の先生に聞いてみようか」
水沢 澄「不要な仕事を増やさないであげてください」
そういうと、「いいと思うんだけどなあ」と本当にそう思っているのかどうかも怪しい適当な感想をこぼす。
この先生は昆虫、とりわけトンボに関する知識はぴかいちだが、いかんせん他の部分はいい加減極まりないし、つかみどころがない。
〇オフィスのフロア
事務室で仕事をしていても真面目に研究資料を読んでいるかと思えば、いきなり事務室のど真ん中でストレッチをし始める。
藤 道人「あたたたたたた・・・・・・」
水沢 澄「・・・・・・もう少し静かに体を伸ばせませんか」
藤 道人「むーりー・・・・・・あ、背中押してくれない?」
水沢 澄「お断りします」
真剣にPCに向かっている時には、トンボの写真を整理しているのかと思えばただただ見つめていただけだったりするし。
藤 道人「ふう・・・・・・」
水沢 澄「お疲れですか?」
藤 道人「・・・・・・いや、見てくれよ。このミヤマアカネの翅脈」
水沢 澄「えと・・・・・・翅の筋のこと、ですよね」
藤 道人「そう、この赤と黒のグラデーション・・・・・・たまらないよね」
水沢 澄「ああ、綺麗ですね・・・・・・え? 今のため息は?」
藤 道人「感嘆」
水沢 澄「・・・・・・失礼しました」
〇標本室
普段の仕事に支障をきたしているわけではないが、あまりの自由っぷりについていけない時がある。
先生の自由奔放さについて考えていると、いつの間にか先生の視線は標本から私に移っていた。
藤 道人「今日も勉強? 真面目だねえ」
水沢 澄「まだ新米でわからないことだらけですから」
藤 道人「わからないことがたくさんあるってことは、それだけ伸びしろありまくりってことで結構じゃない」
水沢 澄「そこまで楽観的になれませんよ」
そう言って解説資料に目を落とす。
すると、いきなり手の中にあった資料がひょいと空中に浮いた。藤先生が真面目な顔で私の資料をつまみ上げ、じっと私を見る。
水沢 澄「ちょっ・・・・・・藤先生?」
藤 道人「澄さん」
藤先生はぐっと顔を近づけ、私の顔を覗き込む。普段こんなに至近距離で顔を見ることなどない。緊張して肩は上がり、体が固まる。
先生があまりに真剣な表情で見つめるので、目をそらせない。
いつもトンボに向けているような熱い視線を、自分へ注がれているのがなんだか落ち着かない。
藤 道人「やっぱり・・・・・・」
しばらく私を見つめると、納得したように頷く。私は何に納得したのかわからず首を傾げた。
藤 道人「なんか今日肌の色、いつもと違うよね?」
水沢 澄「え・・・・・・あ、ああ!ファンデーション、違うブランドに変えて・・・・・・って、なんでわかるんですか!?」
確かにファンデーションは違うブランドに今日から変えたが、トーンはほぼ同じものを使っているし、こんなすぐに気づくだろうか?
藤 道人「ん? そりゃわかるよ」
面白そうに笑いながら、今度は耳元にそっと唇を寄せる。
藤 道人「僕の好きなものへの観察力の鋭さ、なめちゃいけないよ」
そういってそっと身を離した先生の顔は少し照れていたように見えた。
水沢 澄「すきなもの・・・・・・」
藤 道人「さーて、僕トンボ採りに行こうかなあ」
先生はなにもなかったように身を翻し、軽い足取りで倉庫の出口へと歩いていく。
水沢 澄「・・・・・・わ、私トンボじゃありませんよ!?」
去り行く先生の背中に叫ぶと先生はひらひらと手を振った。
藤 道人「顔がアキアカネみたいだよ~」
水沢 澄「う、うるさいです!」
男性のひとつのことに打ち込む姿って本当にかっこいいんですよね~!もうそれ以外の変人ぷりは許せちゃうくらい。しかも最後の例えがトンボだったところも彼らしくて素敵でした。
こういうタイプの男性教師って魅力的です。彼女も変わっているっと感じながら気になる存在なんだと思います。どんな事でもそれだけに情熱を持ち続ける姿って惹かれます!
先生、さりげなく告白してますね!笑
好きなことには熱心になりがちで、調べてるうちに見入ってしまうのもわかります。
途中でストレッチしたくなりますよね。笑