エピソード1(脚本)
〇マンションの共用廊下
恋人の雅也と別れた。それはあっけない別れだった。
部屋から自分の持ち物を選び出し、荷物をまとめた。中でも雅也と一緒に買ったものは、持っていく気になれなかった。
さやか「やっぱり、雅也を思い出すものは持っていけない・・・・・・」
二人で暮らした日々は、段ボール3箱分にしかならなかった。
それを新しく借りた一人用の殺風景なワンルームに運び込む。
さやか「気を取り直して、ここでひとりで暮らしていこう。自由になって・・・・・・でも」
・・・・・・引っ越して数日経ったが、何もする気になれなかった。少ない荷物なのに、それすらまだ整理ができないでいた。
玄関チャイムが鳴った
さやか「誰?新聞なら要らないわよ」
さやか「え?・・・・・・雅也?」
物憂げに開けたドアの前には、額に汗を浮かべて、彼が立っていた。
荒い息遣いをしている。
さやか「あ・・・・・・達也くん? 達也くんが、どうして?」
緊張した顔に、照れくさそうな笑みを浮かべていたのは、彼ではなく、弟の達也だった。
あわてて名前を呼びかける。
確か、まだ大学生。
その姿は、出会った頃の雅也によく似ていて、私の胸は波打った。達也の笑みに目が吸い寄せられてしまう。
達也「あ、あの、これ、忘れ物」
達也が差し出したのはきちんとたたんでビニールに包まれた私のスカーフ。
さやか「え?あ、ありがとう・・・・・・これをわざわざ?達也くんが?」
達也「ええ。いきなりで、すみません」
さやか「あ、ちょっと待って、電車代、かかったよね」
財布を取りにいこうとすると、
達也「いや・・・・・・俺、今日、ロードバイクで来てたもんだから・・・・・・帰りがけだし」
さやか「ロードバイクで?・・・・・・そんな、帰りがけって」
兄貴のところに来てて、と言わなかったのは達也のやさしいところか。
でも、雅也と暮らしていたマンションからここまでは、いくら飛ばしても自転車なら、1時間以上かかる。
実家だって方向は違うし、決して達也のいうような、帰りがけに軽く寄れる距離じゃないはず。
驚いて頭は混乱し、何を言っていいかわからなくなった。
さやか「ごめんね、わざわざ・・・・・・私のものなんて、捨ててくれても、よかったのに」
達也「いや・・・・・・」
最後の方は投げやりに聞こえたかもしれない。達也の顔から目をそらす。
普段から無口な彼は、困ったように突っ立っていた。
達也「大事なものじゃないかなって・・・・・・これ、よく、つけてたでしょ」
さやか「えっ・・・・・・」
確かにお気に入りでよくつけていたスカーフだけど。でも、達也とは数回しか会ってなかったのに、そんなとこを見てたなんて。
さやか「あ、ありがと、あの、上がってお茶でも飲んでいって。まだ段ボール積んでて、狭いし何もないんだけど」
私はあわてて、ドアを広く開け、明るい声で達也を招いた。
達也は固まったまま、大きく息をひとつ吐く。
達也「いや、もう夕方なんで・・・・・・俺、失礼します」
さやか「あ、じゃ、コンビニ、近いからちょっと行ってくる、中で・・・・・・」
達也「いえ、これ届けるだけだったから、俺」
達也は後ろを振り返る。
私はうつむいた。
そうね、こんなとこで引き止めちゃ、迷惑だよね。
さやか「そう?そうだよね、ごめんね」
さやか「来てくれてありがとう、うれしかった」
ふと、顔を上げると達也がまっすぐ私を見ていた。
あわてて袋を持ち上げ、私は無理に笑ってみせた。
さやか「・・・・・・でも、ホント、こんな送ってくれてもよかったのに、着払いで。達也くんにまで手間かけさせちゃって、ごめんね」
達也「いや、俺が、届けるって言ったんで・・・・・・」
さやか「えっ・・・・・・」
達也「いえ・・・・・・よかった」
達也は言葉と一緒に大きく息を吐いた。一瞬、引き締まった顔から笑みが消えた。
達也「ただ、顔を見たかったんで・・・・・・俺が」
ぼそりと言うと、達也は赤い夕陽に向かって顔をそむけた。
達也はそのまま頭を下げ、夕焼けの中を去っていった。
私はやっとの思いで、小さくつぶやいた。
さやか「達也、くん・・・・・・ありがとう、私も」
私も会えてよかった、という言葉をのみこんで、私は夕日の色をした達也の背中を見送った。
出逢った頃の彼と似ているっていうだけでも、ドキドキしますね。電車じゃなくてロードバイクでっていうのも、まっすぐな彼の雰囲気や無邪気な感じに合っていると思いました。
達也君が訪ねてきて、ほんの少しの時間に、お互いの気持ちが通いあって何かもうすでに新しい恋が始まっているかのような雰囲気を感じました。
態度や行動から汲み取るというのは難しいかもしれませんが、日常的にやっていることなんですよね。
口数が少ないからこそ、伝わるものもあるのかもしれません。