翼のない鳥、宇宙の果てよ

雪乃

後編(脚本)

翼のない鳥、宇宙の果てよ

雪乃

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〇川沿いの公園
アン(今日は欲しい本も手に入ったし、良い日だったな)
  友達と別れて家に帰ろうとする頃には、夜になっていた。
アン(早く帰らなきゃ)
  ずしりと重い本を抱えて、頭をよぎるのは。
アン(クラレンス・ファン・フリートさん)
  なぜかずっと、どこか、悲しそうだった人。
アン(目の奥に、暗い川が流れているみたいだった)
アン(誰も入ることのできない、深い川が)
  川沿いで立ち止まる。
  夜空をそっくり映した川面は、飲み込まれそうなほどに黒く染まっている。
  そう、彼の瞳は、こんなふうに見えた。
  揺れる川面に映る星の形は不確かだ。
  光が揺らいで、見えたり、見えなくなったりする。
アン(不思議な人だった)
  暗い川の流れに時折光が瞬いてはまた消える──
  そんな人。
アン(変だ)
アン(今日会っただけの人に、そんな印象を抱くなんて)
アン(あの人は「旅行」と言っていたけれど、)
アン(本当に、それだけなのかな)
  やめよう、と首を左右に振る。
アン(偶然会っただけの人を、こんなにも勘繰るなんて)
アン(きっと失礼だ)
アン「帰ろう」

〇川沿いの公園
  次の日。
クラレンス「エバンス、さん?」
アン「フリートさん?」
アン「またお会いするなんて」
クラレンス「そうですね、驚きました」
クラレンス「これから大学ですか?」
アン「いえ、今日は演奏会なんです」
クラレンス「演奏会?」
アン「音楽をやっている友達がいるんです」
アン「その子に誘われて」
アン「そうだ!」
アン「良ければ一緒に来ていただけませんか?」
クラレンス「え?」
アン「一緒に来るはずだった子が、来られなくなったんです」
アン「チケットが1枚余ってしまって」
アン「もちろん、その、お時間があればなんですけど」
クラレンス「ええと、その」
アン「ごめんなさい!」
アン「いきなりお誘いするなんて」
クラレンス「いや、違うんです」
クラレンス「自分で良ければ、ご一緒しても?」
アン「来てくださるんですか?」
クラレンス「はい。予定もありませんし」
アン「嬉しい!ありがとうございます」
アン「イシス芸術大学の中のホールなんです」
クラレンス「イシス・・・・・・芸術大学?」
アン「はい。友達、そこの学生で」
  イシス芸術大学。
  ゲルダが通った大学だ。
  その大学にあるホール。
  当然行ったことがある。
  ゲルダが出演した演奏会の会場だったからだ。
クラレンス(まるで)
クラレンス(ゲルダに導かれているみたいじゃないか)
アン「フリートさん?」
クラレンス「え」
アン「大丈夫ですか」
クラレンス「ありがとうございます。・・・・・・大丈夫です」
  彼女に心配そうな顔をさせてしまった。
クラレンス「会場は、何時ですか」
アン「30分後です」
  俺は彼女と一緒に、演奏会に向かうことにした。

〇コンサート会場
クラレンス(懐かしいな、ここも)
クラレンス(あの頃と、何も変わっていない)
アン「フリートさん」
クラレンス「エバンスさん」
クラレンス「座席は、ここで合ってますよね」
アン「はい。大丈夫です」
アン「あ、そろそろ始まるみたいですよ」

〇コンサート会場
  会場が、次第に暗くなり──
  舞台上に進み出た出演者を、スポットライトが照らし出す。
出演者「それではお聞きください」
出演者「曲名は、オペラ『ルサルカ』より──」
出演者「『月に寄せる歌』」

〇コンサート会場
  演奏会は無事に終わり、
  出演者には、観客から万雷の拍手が贈られた。
  そして俺は、泣いていた。
アン「フリートさん⁈」
アン「どうされました⁈」
  思わず手の甲で涙を拭う。
クラレンス「ただ、その──」
  言葉に詰まる。
アン「とにかく、出ましょうか」
  俺は彼女と一緒に会場を出た。

〇名門の学校
アン「本当に、大丈夫ですか?」
クラレンス「すみません、突然」
クラレンス「驚かれましたよね」
アン「フリートさん」
アン「その──差し出がましいことかもしれないんですけど」
アン「良ければ、話してくださいませんか」
アン「話すことで楽になることも、あるかもしれないから」
アン「もちろん、話したくないことなら、良いんです」
アン「ただ、その、」
アン「昨日から、ずっとあなたのことが気になっていて」
クラレンス「本当に、」
クラレンス「話しても、良いんですか」
アン「昨日会ったばかりなのに、って思われるかもしれないけれど」
クラレンス(躊躇いはある。それでも──)
クラレンス(それでも──)
クラレンス「あなたにお話ししても、良いのなら」

〇レトロ喫茶
  彼女が選んだのは、ある喫茶店だった。
クラレンス「『月に寄せる歌』を聞いたら、思い出してしまって」
クラレンス「ご存知でしょうか──」
クラレンス「イシスから出てイシュタルを目指していた宇宙船の事故」
アン「・・・・・・ニュースで見ました」
クラレンス「そうです。乗客乗員は、全員亡くなった」
クラレンス「そこに、俺の恋人が乗っていました」
クラレンス「彼女はイシス芸術大学で、声楽を専攻していました」
クラレンス「演奏会で、彼女も歌っていたんです」
クラレンス「『月に寄せる歌』を」
アン「だから・・・・・・」
クラレンス「はい。その歌を聞いたら、どうにも思い出してしまって」
アン「その、ごめんなさい」
アン「私、話してほしいなんて軽々しく言ってしまって」
クラレンス「いえ、あなたが謝ることじゃない」
クラレンス「聞いてくださって、ありがとうございます」
アン「フリートさん」
アン「あの、昨日「旅行」とおっしゃっているいたけれど、」
アン「もしかして──」
クラレンス「ええ。追いかけているんです」
クラレンス「恋人の、面影を」
アン「そのために、この星に来られたんですね」
クラレンス「はい」
クラレンス「自分でも、分からなくなっていました」
クラレンス「なぜここに来たのか」
クラレンス「なぜここに来ようと思ったのか」
クラレンス「自分は本当に、ここに来ることを望んでいたのか」
アン「フリートさん・・・・・・」
クラレンス「本当に行こうと思っていたのは、ここではなかったんです」
アン「え?」
クラレンス「本当は、事故の慰霊碑のある星に行こうとしていました」
アン「事故の慰霊碑?」
アン「それは、イシュタルにあるのではないですか」
クラレンス「いえ、そこではなくて」
クラレンス「ずっと遠い、荒野ばかりの星にあるんです」
クラレンス「事故に遭った宇宙船の破片が見つかった星に」
クラレンス「いつかは行こうと思っていた」
クラレンス「でも、どうしても決断できなくて」
クラレンス「そこに行ったら、恋人と、本当に別れなければならなくなる気がして」
クラレンス「だからここに、イシスに来たんです」
クラレンス「足踏みするみたいに」
アン「そう、だったんですか」
クラレンス「はい」
クラレンス「でもおかげで、決心がつきました」
クラレンス「行こうと思います。あの星に」
クラレンス「エバンスさん」
クラレンス「あなたと出会えて良かった」
アン「・・・・・・ええ。私も」
アン「あなたに、お会いできて良かったです」
  わずかばかりの、沈黙の後。
アン「ここを発つのは、いつになりますか」
クラレンス「明日にでも」
クラレンス「一旦、イシュタルに戻ります」
クラレンス「エバンスさん?」
クラレンス「何かありましたか」
アン「いえ、何でもありません」
アン「大丈夫・・・・・・です」
  空気が、重い。
クラレンス「ああそうだ、」
  努めて明るい声を出した。
クラレンス「あなたに教えていただいた詩集」
クラレンス「とても素晴らしかった」
クラレンス「地球時代も今も、人とは変わらないものなのだと思いました」
クラレンス「誰かを恋しく思ったり、愛したりする気持ちは、いつの時代も同じだと」
クラレンス「何より、言葉にして良いのだと気づきました」
アン「言葉に・・・・・・して・・・・・・」
クラレンス「悲しいときは悲しい、恋しいときは恋しいと」
アン「そうです」
アン「文学は、そのためにあるんです」
アン「悲しいことを悲しいと、辛いことを辛いと言うために」
アン「悲しみや辛さを抱えていても口に出せない人のために、」
アン「文学はあるんです」
アン「私は、そう思っています」
  アンの瞳が、輝きを取り戻したのがわかった。
  同時に脳裏を掠めるのは、やはりゲルダの記憶だった。

〇公園のベンチ
ゲルダ「なぜ歌うのかって?」
ゲルダ「それはね、クラレンス」
ゲルダ「感情に蓋をしないためよ」
ゲルダ「苦しいとか悲しいとか辛いとか、それだけじゃない」
ゲルダ「いろんな感情を表に出さない人がたくさんいるの」
ゲルダ「もちろん私だってそう」
ゲルダ「いつでもどこでも泣けるとは限らないでしょう」
ゲルダ「だから私は、思い切り歌うの」
ゲルダ「悲しみや辛さを、誰かが表に出せるように」
ゲルダ「それで救われる人がいるって、私は信じてる」

〇レトロ喫茶
アン「フリートさん」
アン「どうか、お気をつけて」
クラレンス「はい」
クラレンス「ありがとうございます、エバンスさん」
  それが、彼女との別れだった。

〇宇宙空間
  それから俺は、砂漠の星に向かった。
  遺体も遺品も何一つ帰ることのなかったゲルの、
  唯一の痕跡が残る場所だ。

〇荒地
  見渡す限りの荒野を歩く。
  この星は環境の過酷さからほとんどが開拓もされず、
  文明から取り残されたような星だった。
  ここに来るのは研究者と、そして──
  俺のような、事故の犠牲者の身内だけ。
  1時間は歩いただろうか。
  荒野の真ん中に、事故の慰霊碑はあった。
  犠牲者の名前をひとつひとつ読んでいく。
  ゲルダ・クライン。
  彼女の名前は、確かに刻まれていた。
  慰霊碑の背後には、宇宙船の破片が安置されている。
  それがゲルダの、たったひとつの遺品であり墓標なのだ。
クラレンス「ゲルダ」
クラレンス「遅くなって、ごめんな」

〇荒地
  どれくらい、慰霊碑の前で立ち尽くしていたのだろうか。
  すでにあたりは暗くなっていた。
  この星には、慰霊碑を訪れる遺族のために、簡素だが宿泊できる施設がある。
  その施設に向かおうかとしたその時──
  この星には、衛星があることに気がついた。
クラレンス「あれが・・・・・・「月」か」
  この星を照らす恒星の光を受けて輝く衛星。
  「月」明かりが、夜を静かに照らしている。
  柔らかく、時折雲を七色に染めながら──
  衛星を見ていると、不思議と心が落ち着いていく。
クラレンス「ゲルダ」
  君は、もう宇宙のどこにもいないけれど。
クラレンス「生きるよ、俺は」
  星明かりが、月明かりが、ゲルダそのものなのだと。
  なぜか、そう思えた。

〇川沿いの公園
アン(フリートさん)
アン(もう、向こうに着いた頃かな)
アン(また会えますか、なんて聞けなかった)
  あの人の瞳の中に流れていた、深くて暗い川。
  それは宇宙にも似た深淵だった。
  願わくばその深淵に、星が灯っていることを、
  私はただ、願っている。

コメント

  • 切なくも、とても美しく素適なお話でした。
    前向きに終わるラストも印象的でした。

  • とても詩的で素敵なお話ですね!😃
    ラストの月の余韻がとても心に残りました。静かな寂しい星で、心に灯る光。
    「悲しみや辛さを抱えていても口に出せない人のために文学はある」も名台詞ですね!!
    そう言うアン自身は、彼への想いを口に出せなかったのも深いです。
    創作は孤独な面もありますから、互いに応援できればいいですね。タップノベル楽しみましょう。いつか遊びに来てください👍

  • 情景とストーリーがマッチした、素敵な話ですね!

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