イヌのぬいぐるみ(脚本)
〇原宿の通り(看板無し)
優子(早くしないと、5時から始まる再放送のドラマに間に合わない)
優子はつないでいた翔の手を思いっきり引っ張った
優子「もたもたしないの!」
それでも翔は引きずられるように歩きながら、陳列してあるお菓子のほうをチラチラと見ている
優子(この子はいつもこうして気が散ってばかりいるのだ 来年は小学生なのに、ちゃんと学校でやっていけるのだろうか)
優子「ほら、そんなもの見てないで!」
ショッピングセンターはちょうど夕食の材料を買う主婦で賑わっている。
その人混みを避けるだけでも大変なのだ
それに増して翔を連れていると、思うように動けない
握っていた手につい力が入ったが、翔は何も言わずただ顔をしかめていた
ガラガラガラ、コトン、カランカランカラン
出入り口を通り過ぎようとしたときだった
店舗スタッフ「あ、お客様、三等当選しました! おめでとうございます」
おばさん「わあ、これもらえるの?」
優子(なんの抽選会だろう?)
中年女性には、有名メーカーの炊飯器が渡されていた
店舗スタッフ「奥さんもやっていきます?」
ガラポンのそばに立っていた男性が、急に優子に声をかけてきた
優子「え? でも抽選券とかないですけど」
店舗スタッフ「いいですよ どうぞどうぞ」
彼は笑顔で手招きしている
おばさん「奥さんもやってみたら? もっといいものが当たるかもよ」
女性にそう言われ、優子は躊躇いながらもガラポンを一回転させた
ガラガラガラ、コトン
飛び出してきたのは、ベージュ色の球だった
店舗スタッフ「奥さん、特別賞ですよ おめでとうございます!」
優子(特別賞? 何だろう? どうしよう。 当たっちゃった……)
男性は訝しげにしている優子の顔に目もくれず、後ろの商品をゴソゴソと出し入れしていた。そして、
店舗スタッフ「特別賞はこれですね」
差し出されたのは、ベージュ色のイヌのぬいぐるみだった。
体長30センチぐらいだろうか、けっこう大きい
優子「これ・・・ですか?」
男性は笑顔でうなづいた
翔「わあ、かわいい!」
翔が急にはしゃぎ出して男性からぬいぐるみを受け取ると、ギュッと抱きしめた
優子(ちょっと怪しいけど、これなら貰ったところで何事もないだろう 翔も喜んでいるし)
ふと時計を見た
もう四時四十分だ
慌てて帰ろうとしたとき、
店舗スタッフ「奥さん、それ、使い方ちゃんと読んでくださいね」
男性が声をかけてきた
何のことか聞こうとしたが、すでに彼は他の客に話しかけていた
優子(何だろう、使い方って)
優子は諦めて、急ぎ帰路についた
〇綺麗なリビング
家に帰ると、翔は抱きしめていたぬいぐるみをすぐ放り出して、自分の部屋に行ってしまった
優子はテレビをつけながら、仕方なくぬいぐるみを拾い上げた
それの背中にはポケットがあり、中に説明書が入っている
『イライラする、誰かを責めたくなる、腹が立つ、そんなとき、この子にぶちまけてください。あなたの気持ちが楽になります』
優子(よくわからないけど、とりあえず棚の上にでも置いておくか)
〇綺麗なキッチン
その日の夜
隆「今度の週末だけど、急に仕事でゴルフになっちゃってさ」
週末は、隆が翔を遊園地に連れて行く約束をしていた
翔2「パパ、お仕事なんだね じゃあ、また今度連れてってね」
隆「ごめんな、翔 今度は絶対な」
翔2「うん! 楽しみに……」
優子「え? 嘘でしょ?」
優子「ちょっと、いつも仕事仕事って、週末ぐらい子供の世話してよ 私、友達と会う約束したのに!」
隆「仕方ないだろ 仕事だって言ってるだろ」
優子「私の身にもなってよ 毎日この子の相手、大変なのよ。それに、ホントに仕事なの? ゴルフって言えばいいと思ってるでしょ」
隆「なんだよ、それ いい加減にしてくれよ。もう風呂入ってくるわ」
翔はソファの隅っこに縮こまってテレビを見ている
優子「翔! アンタも早く寝なさい! いっつも寝坊するんだから!」
優子(気持ちがどうにも抑えきれない どうしたらいいの?)
そのとき、優子の視界に入ったのは、棚に置いてあったイヌのぬいぐるみだった
優子は思い出す
腹が立つとき、この子にそれをぶちまけてください・・・
優子「ねえ、旦那も翔もちっとも私の苦労をわかってくれないのよ! ホントにイライラするったらない!」
優子「みんな自分勝手で、私にばっかり負担かけて・・・!!」
次から次へと不満を言い続けた
どれだけ優子がイヌに話しかけても、何が起こることもなかった
持ち上げたり振ったりもしてみたが、やっぱり何も起こらない
優子「何よ。何にも変わらないじゃない!」
諦めてイヌを元の位置に戻した
だがそのとき、ふと気づいたのだ
なぜか優子の胸の中が晴れやかな気分になっていることに
不思議だった
自分が何に腹を立てていたのかわからなくなったのだ
〇チェック
それから、優子は怒りが収まらなくなったとき、イヌに愚痴を浴びせて、気持ちをスッキリさせることがいつしか日課となっていった
〇綺麗なリビング
そうして一ヶ月が過ぎたころ
夕食の用意をしていると、翔が棚に置いてあるイヌのぬいぐるみをじっと見上げていた
優子「翔、どうしたの? それ、ママの大事なものだから、触っちゃダメよ」
声をかけると翔が振り向いた
優子の顔を凝視している
優子「どうしたのよ ママの顔に何かついてるの?」
次第に翔は怯えたような表情に変わっていく
優子「ねえ、どうしたの? 怒らないから、言ってみなさい」
優子(ホントにこの子はイライラさせる でも、またあとでぬいぐるみにこの気持ちを吸い取ってもらおう)
翔2「・・・なんか、このイヌ、ママに似てる」
優子「え?」
優子(何を言っているのだろう、この子は)
呆れながら、優子はイヌを見た
思わず息を飲んだ
イヌの表情が
まるで般若のような表情になっていたのだ
すると・・・
イヌのぬいぐるみ「あんたのせいよ! あんたが悪いんじゃない! 私はちゃんとやってるのに! 何してんの! ちゃんとしなさい! 早くしなさい」
イヌのぬいぐるみが、優子に向かって怒涛のように怒鳴り散らしてきたのだ
恐怖のあまり、優子はとっさにぬいぐるみを掴むとそのまま庭に放り投げた
優子「何よ、あれ・・・」
優子はその場にへたり込んだ
〇チェック
それから数日間、優子は何度かイヌのぬいぐるみを拾ってこようと思いかけてはやめる日々を過ごしていた
〇綺麗なリビング
やがて、それも忘れかけたある日のこと、洗濯物を干し終えてリビングに戻ると、翔が床に寝転がって、本か何かを見ていた
優子「翔、何見てるの?」
翔は振り向いて満面の笑みを見せた
翔「ママ! これってママでしょ 可愛かったんだね」
覗き込む
それは、古いアルバムだった
どこから持ってきたのだろう
そこには、優子が五歳ぐらいのころ、祖母と一緒に写っている写真があった
優子「あー、懐かしいなあ でも翔、ママは今でも可愛いでしょ」
翔の頭をグリグリと撫でると、彼はさらに笑顔になった
翔「そうだったね ママは今でも可愛い」
その写真に何か違和感を覚えて、優子はもう一度じっくり見た
そこに写った優子は、両手で大事そうにイヌのぬいぐるみを抱きしめていたのだ
それは、あのイヌのぬいぐるみとそっくりだった
思い出す
この抱きしめているイヌのぬいぐるみは、祖母がこの日、誕生日プレゼントで優子にくれたものだったことを
あのときぬいぐるみを優子に渡しながら、祖母はこう言った
祖母「優子、このイヌのぬいぐるみは、人の心を癒してくれるって言われてるんだよ」
祖母「優子もこのぬいぐるみのように、大切な人を癒してあげることができる人に、きっとなるっておばあちゃんは思ってるよ」
祖母「だって、今だって、優子はおばあちゃんの癒しだからね 優子は本当に優しい子だからね」
優子は慌てて庭に下りると、隅っこに転がっていたイヌのぬいぐるみを拾った
それは、すでにかなり汚れて黒くなっていた
じっと見つめると、イヌはそっと微笑んでいるように見えた
優子は思わずクマをギュッと抱きしめた
気がつくと、翔が背中をずっと撫でてくれていた
優子は涙が止まらなくなった
優子の口にする不満の数々、本当に理解できる生々しいものですね。そのため、祖母やぬいぐるみのエピソードが、より優しく温かく感じられます。リアルとハートフルを精緻に描いた素敵な物語ですね。
怒りとは癒しとはをわかりやすく伝えてくれる作品だと思いました。私自身、幼い頃から50歳近くの今日までぬいぐるみに癒しを求めるタイプの人間なので、彼女の感情の変移に共感できました。
構成もすごく丁寧に練ったんだろうなと分かる素敵な物語でした!読んでいて文書の繋がりや展開に全く違和感がなくあっという間に読ませて頂きました。すごく面白かったです!